アズワンコミュニティ鈴鹿の「値札の無い生活」

以前から気になっている場所のひとつに「アズワンコミュニティ鈴鹿」があります。都市型エコビレッジとして、トランジションタウン鈴鹿としての活動もしています。

アズワンコミュニティ鈴鹿 〜 やさしい社会の試み 〜
http://as-one.main.jp
アズワンコミュニティ鈴鹿の目的は、争いのない幸せな世界の実現です。
つまり、怒りも争いもなく、罪も罰もなく、一人の不幸もなく、どの人も家族のように和気あいあいと暮らせる世界の実現です。

アズワン内の「コミュニティスペースJOY」というストアでは、「値札のない生活」が実践されています。メンバーは、必要なものがあればそこから無料で持ち帰ることができるそうです。

アズワンコミュニティ鈴鹿ブログ | 値札の無い生活
http://as-one.main.jp/sb1/log/eid1079.html

JOYにあるものは商品ではない。私たちのために準備されたもの、私たち皆で利用するものだ。それらを準備した人や作った人の思いもあるが、共に利用する人たちへの思いも強くある。あの人やこの子たちが飲む牛乳、「私もひとついただこう」という感じかな。

お金を介するとき、その値札でそのものの価値を計り選びお金と交換することで私のものになる(と思っている)。

値札の無いJOYのものはすべての人に開かれていて、そのものを介して人と人が会する場を作っているように思う。(昔の井戸端のようなものかな?)

仕事については、どうだろう?

以前働いていた時のように、「1時間いくら」とか、「月給いくら」とか、仕事に値段がついていると、その値段に見合った仕事をするようになる。やりすぎるとサービスになり損をした気分になったり、値段に満たない仕事だと申し訳ないような負い目を感じたりする。値段によって、仕事の質も量も決められているみたいだ。

今では、これだけ仕事をしたからこれだけ稼ぐということもなく、何かをしてもらってお金を支払うということもほとんどない。必要とされることを、やりたいことを、やりたいようにやる。どれだけやるか、どんなふうにやるかは、やる人とやってもらう人、人と人とが決めて行けばいい。

お金を介さない仕事は、その質も量も枠なく開かれ、人と人とに委ねられているのではないかな。
値段のない仕事でお金を稼ぐこともなく、値札のないJOYでお金を使うこともなく、「値札の無い生活」が始まっている。これで、どんなふうに意識や生活感覚が変化していくか、興味津々。

さらには、「値札の無い人」を目指したいと思う。

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